ピカソの初期の作品を、のび太でも分かるくらい超簡単にご紹介させていただきます。


ピカソは、20世紀を代表する天才アーティストとして世界中にその名が知れ渡っていますが、その才能は、幼い頃から健在だったのでしょうか?


天才ピカソの幼少期の生活や、初期の頃に製作した作品を紹介しながら、ピカソという人物に迫っていきましょう。

ピカソの生い立ち



まずは、ピカソの生い立ちからご紹介させていただきます。


1881年10月25日に、スペイン南部、アンダルシア地方のマラガ市のプラス・ラ・メルセド36に生まれたピカソ。


ピカソの父親は、ピカソが生まれたアンダルシア地方のサン・テルモ工芸学校で、美術の先生をしている人でした。


父が美術教師であったため、ピカソは幼い頃から父親に絵を教わってきました。


1892年に、ラ・コルーニャの美術学校に入学したピカソは、そこで徐々に頭角を表してきます。


そして1994年に、ピカソの圧倒的な才能に気づいた父親が、絵の道具を全て息子であるピカソに渡し、自らが絵を描くことをやめてしまいます。


息子の才能がやばすぎて引退するなんて、漫画みたいな話ですね。


1895年には、バルセロナに移り住み、新たな美術学校に入学します。


そこでピカソは、一ヶ月で完成させろと言われた入学製作を1日で完成させてしまいました。


これも漫画みたいな話ですね。


単純に考えて、普通の人が一ヶ月かかることを一日で終わらせたということは、人の30倍速く作品を作れるということになります。


ピカソは、生涯で15万点以上の作品を製作したとして、世界ギネス記録にも認定されています。


それほど多くの作品を残せたのも、このエピソードを聞けば納得できます。




ピカソの初期の作品”科学と慈愛”



1897年、父親の指導のもと、ピカソは”科学と慈愛”という作品を製作しました。





この作品は、国展や地方展で佳作や金賞を受賞しました。


この作品は、ピカソが驚くべきほど早熟だったことを表している作品です。


”科学と慈愛”を完成させたのは、ピカソがわずか16歳のときです。


私は絵を描かないのでよく分からないのですが、この作品はとてつもなく上手いんだそうです。


16歳の少年が描いたとは思えないほど繊細で正確に描かれた”科学と慈愛”。


そして、この絵がすごいと言われているもう一つの理由は、”題材”です。


この絵が描かれた19世紀は、まさに科学が急速に発展し始めた時代でした。


その頃、宗教と科学は対立しあっており、宗教の曖昧な部分を、科学が消し去り、世界はより良い方向に向かうだろうと言われていました。


しかしピカソは、科学の素晴らしさを理解した上で、それだけでは人々は幸せにはなれないということを直感していました。


科学と宗教(慈愛)の両方がバランスよく共存する世界こそが、人々が豊かになる世界だと、わずか16歳で、直感していたのです。


病人らしき人を、医者らしき人とシスターらしき人が科学と宗教(慈愛)で挟むように看病しているのは、そういったメッセージの表われでしょう。

ピカソの初期”青の時代””バラ色の時代”



ピカソの作品は、年代ごとに特徴が著しく表われているため、それぞれを”〇〇の時代”として区切られています。


その中でも、ピカソの初期の頃の時代を、青の時代バラ色の時代と言います。


青の時代とは、その名の通り、青を基調としたくらい感じの作風の作品を多く作っていた時代です。





詳しくは以下記事にまとめていますので、興味がある方はご覧ください。





そして、バラ色の時代とは、フェルナンドという女性とピカソが出会うことで始まります。


青の時代の頃のピカソは、かなり病んだ感じの絵を描いていたのですが、バラ色の時代からは、赤系統の色を使い始め、徐々に明るい作風に変わっていきます。





この作品は、”サルタンバンクの家族”と呼ばれる作品で、バラ色の時代の代表作の一つです。


先ほどの青の時代とは異なり、明るいテイストの絵ですね。


少年の服の青色と、肩掛けの赤色が巧みに退避されている点、広大な大地になぜかサーカス集団が存在し、かつ、誰とも目が合わない不自然さなどが、この作品が評価されている理由です。


ピカソをバラ色の時代に導いたフェルナンドは、ピカソの絵の才能に気づき、ピカソにもっと絵を極める道を進めたそうです。


ピカソはフランスでも活動をしていたこともあるのですが、フランス語が喋れるようになったのは、フェルナンドがフランス語を熱心に教えてくれたからです。


ピカソの才能をさらに開花させ、フランスで活動するように促したフェルナンドは、ピカソを創った愛人として知られています。


フェルナンドは貧乏でしたが、懸命にピカソを支え、ピカソの作品が評価されるまでの約10年間を、ピカソと共にしました。


ピカソがエヴァという愛人をつくったことが原因で2人は別れてしまいます。


フェルナンドは命がけでピカソを必死に支えていたそうなので、このことを知った人は、ピカソは非情なやつだという印象を持つかもしれませんね。


私は、このピカソの非情な感じも、天才芸術家っぽくて好きですが、、、。